FUJIMI HERMITAGE DIARY

kisya

裏山でクロカン

3月31日

急に陽気がよい感じになってきて、鳥たちもにぎやかにホウノ木の新芽をついばんでいる。

あれほど積もっていた雪も見る間にとけて火山性の砂地の地面が顔をだしてきた。砂や砂礫の土地だからぬかるみのようなものはできない。靴が泥だらけになるようなことがないのはありがたいが、そのかわり、地味は貧しく作物のできも限られている。

米はできない。池も川も,水をためたり,流すこともない土地だから、田んぼには向いていない。実際気候も向いていないのだ。夏の気温が足りない。日照時間も短い。

トマトを植えても赤く熟すことなく落ちてしまう。昨夏は自作の畑で何百というプチトマトが実をつけたのだがひとつも食べることが出来なかった。向かいのおじさんは樺太生まれの人だが、サハリンでもトマトは出来ず青いまま腐ってしまう、と言っていたのが心に残る。青いまま朽ちていくトマトをみるのは悲しい。

向かいにそびえる巨大な図体をした火山は北風、南風、すべての方向からやってくる気象変化に敏感に反応して、大量の雲を製造して近隣に雨や霧を降らせるのだ。そんなわけでこのあたりはいつでも雨が降っている。1キロもはなれていない湖の方向に日がさしているというのにここだけシャワーなどということも珍しくない。

夏は涼しくて避暑には最適なところだが、冬は寒すぎる。昔から人が住み着かなかった理由がここに住んでみるとよく理解できるというのが実感だ。

夏の雨は冬には雪に変わって、思いがけない量の降雪となる。

以前は裏山にスキー場まであったほどだ。戦前に発行されたスキー図書にはこのあたりはスキー好きの東京市民が訪れる格好のエリアだとガイドされている。

それはさておき、話は3月31日のことであった。その前日、30日、陽気がよくなったというのに、低気圧が二つほどやってきて、巨大火山にまともにぶちあったって、里の雨は、このあたりでは雪となった。春の思いがけない大雪である。里ではサクラが花びらを落としているというのに、ここでは大きな雪片が花吹雪のように舞い落ちてくる。小屋の明かりを消して庭先をライトアップして百花繚乱を見る。

あけて31日朝。ここは雪国、周囲は冬の景観である。畑を掘り起こしてチッソリンサンカリでも混ぜこんでイモでも植えようかというプランは水泡に帰した。畑には30センチも新雪が積もっているのである。

電話が鳴った。

花見にでも行こうという、友達の誘いだ。東京の人はのんきだ。こちらは雪だから雪見酒でもしようよ、というと、すぐに行く、という反応があった。こういう素早い人はいい。

昼前に雪をかきわけくだんの友がもう一人の友人とともにやってきた。二人とも古い山の仲間だ。東京から2時間、途中では何台か車が立往生しているという。山好きの二人が乗ってきた車は、年季の入った代物だが、タイヤだけは立派でスタッドレスという雪道専用タイヤだ。東京人なら、この時期、夏のタイヤに履き替えているのが普通だが、さすが山男たちは読みが深い。夏のタイヤで、今日このあたりの国道を走れば往生するのは当然だ。

 

雪見酒はよいアイデアだが、昼間からというわけにはいかない。友人二人はそれぞれ一本づつお酒を持ってきてくれた。素晴らしい友人たち。そのお酒をおいしくいただくためにも、体を動かすのがよい。畑仕事を手伝ってもらうのがいちばんだが、今日は無理。それを無理にさせてしまったこの大雪を楽しもうと裏山へスキーにでかけることに意見一致。

納戸へ行って古いスキーを持ち出してくる。普段使っている自分のスキーのほかに2本見つかった。山野跋渉型のクロスカントリースキーだ。テレマークスキーとも言われている。友人たちはスキーの名手でもある。早速庭先で用具を調整して、デイパックを背負って嬉々としてでかける。二人ともスキーが大好きなのである。

雪こそ止んだが、空は曇天で冷たい風が吹いている。

テレマークスキーの締め具はかかとが自由に上がるようになっていて雪の上を歩き回るのには都合がよい。緩い坂道ならそのまま登っていける。下りはスーっと滑ればよい。

急坂になったらシールをつける。これで相当な急坂も登ることができる。

林道から裏山にはいる。残雪の上に積もった新しい雪は軽く乾いていて、雪煙をあげながらすいすいと進むことができる。

この杉は植林されているけど手入れされていないね。

夏は藪で歩けないかもしれないな。

男3人あーだこーだと感想を述べながら行く。

古い道の跡があって、杉林のなかをゆるく登っている。植林されたまま手入れがされていないから下生えがうるさい。村の人たちが使った裏山の道だが、いまはその杉林とともに放棄されているようにみえる。

山道の真中にもススキやいばらが生えているのだが、今は雪の下に埋もれているようだ。

あれ? 友人のひとりが言う。よく見るとこの道は最近人が入っているよ。

カマで小枝を切ったあとがたくさんあるなあ。ともう一人の友。

切り口は新しいね。歩きやすいように枝を払っているようだ。これは私。

村人も使わないこの道を誰が手入れしているのだろうか。あるいは杉林などの見回りに村人がたまにはやってくるのか。

正解は、実は私だけが知っているのである。この細い山道を歩きやすいようにカマを片手に切り開いた張本人を。

答えをお教えしよう。誰あろう。その人こそこの私なのである。

夏から秋にかけて数度にわたってこの道に踏み入りカマと鉈でいばらやくもの巣、小枝を払い、ときには折りたたみのノコギリまでとりだして往来の真中に生える雑木を切り倒したのは、なにを隠そう私なのであった。

カマは2度ほど歯がおれ、ノコギリは四度曲がり、振るう手は何度も棒のようになったのだが、この裏山に自家用のトレーニング用散歩道を切り開こうという大義のもと、昨年、私は愛犬とともに足しげく通ったのであった。

2万五千分の一地形図をみて、山小屋から2キロ離れた標高200メートルほど上部にある展望台へダイレクトに通ずるルートがあることを発見したわたしは、この忘れたれた道の再開発を誓い、ついに達成。今日この日、私は、スキーを履かせた友人二人を連れ出し、初披露の栄光にふるえていたのである。

そのような話をごく控えめに友人たちに話す私は満足な顔だったにちがいない。友人たちの反応は意外に冷静であった。

「……、なーんだ。おまえがやったのか」

「そうか。……、もっと丁寧に枝を払ってくれるといいのに」

「……」これは私。

古い友人は遠慮がない。

道というものは歩くことができて当たり前なのである。そこにヤブが生え小枝が覆いふさいでいたら、それは歩きにくい道というしかない。普通に歩くことができなければ道ではないのだから。しかし、彼らは原野に一筋の道を作るという過程の非常なる困難性を知らない。とは思ったが、それ以上は言わず、やがて雪の山道は、ササ原にでて、あたりは急に開けてきた。展望台の近くに出たのである。天気は相変わらず高曇りでいまにも再び雪が降り出しそうな気配だ。

この展望台へは山小屋の反対側を走る国道から細い林道がのびていて、車でこそ行けないものの、国道から15分も歩けば誰でも到達できる。南に伊豆の半島と海。北に山中の湖を俯瞰できる気持ちのよい見晴らし台だ。そして正面には巨大火山フジサンがそびえる。もちろん今日の天気ではその眺望はない。

この展望台へ山小屋の玄関から直接スキーを履いて達する裏道ルートを考え、それを開拓し完成させたのが、何度もいうように私の業績なのである。

展望台周辺はハゲ山になっていて草木の生えない火山砂だけの園地。夏にはいくつかの巨大なフジアザミを発見した場所でもある。ハゲ山だからもちろん今は雪で一面真っ白。スキーも快適に滑らせることができる。

これはいい。友人たちは緩やかな斜面を滑り降りたり登り返したりしてスキーを楽しむ。

こんな開けたところがあるなんて、とうれしそうだ。私も同じ。スケールのあるダウンヒルとはいかないが、こんな緩い斜面でもスキーならではの滑走感がを味わえるのはうれしい。とにかくスキーが好きな3人の中年男たちであった。

しばらく遊んで一服。

晴れていればあちらがこう。こちらがこうと、弁解するように解説する私。

天気がよければもっといいところだろうね。と友人。

雪のないときにも来て見たいね。ともうひとり。

あいかわらず雨雲大量製造機ともいうべきフジサンは、自身の作り出した霧か雲に覆われてその姿を現さない。あたり一面は雪の原だが、吹き渡ってくる風は春の土の匂いを運んでいるようだ。

 

 

 

 

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