FUJIMI HERMITAGE DIARY

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PARAGLIDER

空を飛ぶ

 突然ですがパラグライダーの話しです。
 「あの、空飛ぶ、三角形のタコのようなやつですね」
 いえ、それはハンググライダー。パラグライダーはパラシュートのような、空を飛
 ぶあれです。
 あの派手な色合いの、風船でできたカマボコのような物体を、どこか、ハイキング
 やドライブしているときに見かけたひとは多いでしょう。どこからともなく音もな
 くやってきて頭上はるか、ふわりふわりと浮遊している様はとても新鮮で驚きでも
 ある。
 気持ちよさそう。やってみたい。こわそう。さまざまな感想をもたれたことに違い
 ない。
 パラグライダーの発明はハンググライダーよりも新しく、ついこのあいだ登場した
 スカイスポーツである。パラグライダーの先輩格にあたるのがハンググライダーで
 ある。三角形の固定翼をもつハンググライダーが登場したとき世界中の人が驚いた
 はずだ。動力なしで自由に空が飛べる道具が生まれたわけだから。グライダーが飛
 行機の形をしているのにくらべてハンググライダーはカイトとも呼ばれ、それは人
 が乗る凧であった。人ひとりの肩で背負えるそれはまさに人間が翼をもった、とい
 う表現があてはまる代物であり、驚異的なものであった。その登場はレオナルド・
 ダビンチも真っ青の出来事であったともいえる。
 一方、パラグライダーは、1980年代の始めに生まれた。フランスで発明されて
 アルプスを登るクライマーが使いはじめたといわれているが、その源流は、スカイ
 ダイビングのパラシュートにあるらしい。さらにアメリカのNASAが開発した人工
 衛星回収用のパラシュートのノウハウが取り入れられたとも聞いている。
 ともかく1985年には、フランスのクライマーは頂上に達するといきなりパラパ
 ント(パラグライダーのフランス語)を開きフライヤーに変身して、アルプスの峰
 から空に向かって飛び出していたのである。このグライダーはあっというまに世界
 中に広まってしまった。日本でも登山家たちがこれに注目、1986年には何人か
 のパラグライダー家が誕生、各地を飛んでいる。翌年にはこのスポーツをまとめる
 クラブ組織もでき技を競う国内大会まで開かれている。1990年に入るとパラグ
 ライダーは世界中に認知されて大ブームとなる。日本でもスクールがタケノコのよ
 うにあちこちにでき、ナウいスポーツ、ということで若者たちを中心に大はやりす
 るのである。ぼくの勤めていた会社でも、パラグライダーに夢中になった若者が何
 人もいた。当時はスキューバダイビングと人気をわけている様子があったことを覚
 えている。パラグライダーの人気は先輩格のハンググライダーを抜いてその10倍
 にもなるという。
 もともとクライマーが始めたということもあって、このパラグライダーにのめりこ
 んだ人のなかにクライマーや登山家、いわゆる山登りの愛好家が占める比率が高
 かったことは不思議ではない。僕の知り合いの山好きの三人にひとりはパラグライ
 ダーを始めた、というくらいの濃度であったのである。
  ある人がパラグライダーを始めたと聞いて、それから一ヵ月もしないうちに大ケ
  ガをしてしまった、そんな話しがしばしば伝わってきたものである。ねんざや骨
  折は日常茶飯事、もっとひどい事故もあった。パラグライダーをやる知り合いの
  二人にひとりはケガをしていたという覚えがある。始まったばかりのスカイスポー
  ツだったから、初期型のパラグライダーはまだまだ発展途上のものであっただろ
  うし、教えるスクールの技量もまだ幼稚であったのかもしれない。なにせ、教え
  る先生が去年始めたばかりなどという話しも少なくなかったのだから。独学でパ
  ラグライダーを修めたという豪傑もいたし、やはり独習でパラを極めたという危
  険な先生もいた。当時パラグライダーをやるということは、ケガを覚悟の、ある
  いはひょとすると死んでしまうかもしれない、というくらいの気概がいる、冒険
  だったのである。
  僕が所属する山の会の会長はこの草創期のフライヤーのひとりで、いまでも現役
  であちこちを飛んでいる。彼の目的は練習場で飛ぶのではなくいわゆる山飛びと
  いわれる高山から飛ぶことである。パラグライダーで飛ぶことに法律的な規制は
  なく基本的にどこを飛んでもよいことになっている。とはいえ一般にはエリアと
  よばれるスクールが管理している練習場をベースにしてその周辺を飛ぶのが普通
  なのだ。会長は普通の飛び方はしない。普通の人が飛ぶことのない高い山から飛
  ぶのがパラグライダーだと信じているのである。北アルプス、南アルプス、東北
  の山、いくつもの記録を持っている。スイスやフランスのアルプス、カナダ、ア
  メリカで飛んだ経験もある。草創期の豪傑の生き残りといえるだろう。ヒマラヤ
  の6000メートルの山メラピークから飛んだときは僕もそこにいた。氷河の上
  を飛ぶその様子は素晴らしいものだった。山飛びは練習場とちがいすべてのフラ
  イトが初見であるというのがいちばん面白く、いちばん危険なことなのだという
  ことはフライヤーならだれでもわかることのようだ。
  ぼくのいままでのパラグライダーについての見聞は以上のようなものであった。
  そして僕自身がパラグライダーに触ることはなかった。
  
    そんな僕がこのあいだからパラグライダーを始めた。
    突然始めた理由はとくにない。そうなるべき時期が到来してそうなったのである。
  いつかスノーボードが流行ったとき、仲間にそそのかされて早速始めた、という
  よりも、具体的には、富士山にスキーにいったとき友だちの友だちがスノーボー
  ドを担ぎ上げてきた。その彼がスキーに負けることなく、いやむしろスキーより
  もらくらくと頂上から滑降するのを見て、よし来年の今日はおれも富士山からス
  ノーボードで滑るぞ、と思ったのだ。それがきっかけであった。そしてその夢は
  そのとおり実現したのだった。だから今回も、一度パラグライダーで富士山の頂
  上から飛んでみたい、という気持ちがいつからともなくふつふつと湧いてきて、
  よし、いま始めなければいつまでもできない、と思い立ったのがきっかけであっ
  た、と説明するのが分かりやすいだろう。
  力はいらないということは聞いていた。だから女性でも同等にパラグライダーを
  操ることができるという。女性のほうがうまい、とも聞いていた。ロッククライ
  ミングが好きだから腕力には自信があるがそれはなんの役にもたたないという。
  空を飛ぶには、いったいどんな力と才能、センスが必要なのだろうか。ちなみに
  僕の家内は何年も前にパラグライダーを始めていて中級クラスの認定書をもって
  いる。それは普通の人が1、2年かけて取得できる技能証らしいのだが、実際に
  飛んでいる姿を見たことがないのでなんとも言えない。彼女にできることならぼ
  くにできないことはないだろう、と思ったのは確かだった。
  ともかくインターネットでパラグライダーのスクールを調べた。小屋の最寄りの
  スクールがすぐに見つかった。車で10分ほどのところだ。
  大枚1万円なりをもって、ある朝スクールの門をたたく。一日体験というコース
  だった。かんたんなビデオを見せられたあと数人の体験コースのお客といっしょ
  に車で林道を走り裏山へ登る。南側が大きく開けた小山だった。遥か下に吹き流
  しがあって、そこがランディングポイントだと教えてくれる。
 ウッ。あそこまでいきなり飛ぶのか。
  準備体操のあと5分ほどの説明があって、パラグライダーとハーネスを身につけ
  る。パラグライダーが大きいのに驚いた。先生が「じゃ、いってみましょう」僕
  の前にたって風の様子をみるとハーネスをつかんでひょいと前に引っ張る。バサ
  バサと言う大きな音とともにパラグライダーがスーと立ち上がってくる。
  あっという間にぼくは空中に浮かび上がっていた。無線で先生が右をひけ、左を
  ひけと誘導してくれる。電車のつり革のようなものが両側にぶらさがっていてそ
  れで舵をとるのである。猿真似のようにそのとおり腕を動かすと吹き流しのある
  くぼ地に自然とグライダーは着地したのだった。高度差100メートル、距離3
  00メートル、1分ほどの空間移動であった。気持がよかった。快楽的な浮遊感
  覚であった。こりゃ面白い…。
  ほかのお客も同じ様に上手に飛んできている。これは先生の誘導がよいのに違い
  ない。風などの諸条件もよろしいのであろう。なにはともあれ、ぼくはいきなり
  空を飛んだのだ。昨日のぼくとは決定的にちがう自分がそこにいた、といえば大
  袈裟であろうか。
  その日は同じコースで3本ほど飛んだ。
帰りがけに「みなさん素質がありますよ」と先生が言葉をかけてくれる。お世辞と
わかっていてもみんなにこにこしている。
もともとスクールに入るつもりだったから、翌日からはお客さんではなく講習生と
してパラグライダーのクラスに入ってトレーニングすることになったのだった。
それからは週3日。素質がないと思う日と、ひょとして俺はうまいとちゃう? そ
う思う日々のくり返しとなった。雨の日は飛べない。天気がよくても風向きが悪い
と飛べない。効率の悪い遊びである。週3日飛ぶのはけっこう大変なのだ。
パラグライダーという機体は正確にいうと飛行機の翼と同じ形をしている。原理も
また同じである。操縦法も基本的に同じである。空を飛ぶというよりも航空するの
である。
飛行機の翼と違うのは骨組みがないこと。パラグライダーは一枚の布きれだと思っ
ている人も多いが、実際は、骨組みのかわりに空気を入れて翼型を維持しているの
である。テント生地を縫い合わせた風船のようなものだから、長さ5メートル幅2
メートル以上の機体もまるめてしまえば、リュックサックに入ってしまうのだ。世
界中どこでも持っていける。便利である。ハンググライダーとパラグライダーは兄
弟のようなものだが、大きく違うのはこの翼に骨組みがないというところなのであ
る。
骨組みがないから、風向きによって、あるいは乱れた気流にはいると口のあいたこ
の風船はかんたんに潰れてしまうことがある。すると航空ではなく落下となる。骨
のない機体は危険な機体でもある。フライヤーは緊急のパラシュートをひとつ常に
持参していることを知っている人は少ないかもしれない。
いまのところ師の指導よろしく落下したことはなく、ねんざの類いのケガもない。
予定コースを外れて薮の中に不時着することはたまにある。いままで200本ほど
飛んでケガがないということは、パラグライダー草創期のころにくらべて機体が安
全になったのか、指導法が向上したのか、おそらくその両方であるにちがいない。
(2002年の統計によるとパラグライダーとハンググライダーをあわせた国内で
の事故は月平均一人の死亡だというから、これはけっこうな確率ではある)
エンジンのないグライダーだから滑空して降下するのが基本だ。ところが大気の中
には上昇成分をもつ空気の流れがある。上に向かって吹く風である。これを捕まえ
るとパラグライダーはぐんぐんと上昇して高度を稼ぐのだ。トンビがクルクル回っ
て高みに登っていくのはその上昇風を利用しているのだということを知る人は知っ
ているだろう。それと同じことがパラグライダーにはできるのである。
いつもの練習場でこの上昇風を捕まえてどんどん上に上がっていき、いままで山陰
で見えなかった富士山を初めて見たときはうれしかった。となりの山よりも高く上
がったのである。テイクオフとランディングの標高差が400メートルある第2練
習場ではかんたんに1000メートルくらいの標高を獲得することができる。
山登りでもクライミングでも、高度を稼ぐのは自分の手足に頼るほかなかった。そ
れが、風を利用してすいすいと高みに上がることができるのだ。ラクチンである。
斜面上昇風をうまく捕まえれば稜線の脇を長く飛んでいることもできる。山登りす
る人がそこに見えたりすると申し訳ないような気持ちになる。これも新鮮な感覚で
ある。
より上に上がりたいという欲望がパラグライダーにのめりこんだ人の性向だとい
う。高く上がれば上がるほど1時間2時間と飛んでいる時間も長くなるのである。
高くあがればその分、水平距離を伸ばすことができる。遠くまで行けるのだ。何百
キロという水平飛行の記録もある。

フライヤーの欲求の基本はトンビのようになること、トンビ化なのである。バリオ
(昇降計)の上昇音がフライヤーにはとても心地よく聞こえる。なんとこの第2練
習場から富士山の高さまで上がった人もいるという。ということは、富士山の頂上
までパラグライダーで行くことが可能なのか。頂上にタッチアンドゴーして再び下
界に降りてくるという夢のようなことができるのかもしれない。山小屋を見下ろす
こともできるかも。
師にそれを聞くと「富士山は風が悪くて危険、ま、当分は無理だね」と言う。
富士山から飛ぶにはまだまだ修行が必要だ。
大きな夢の前に小さな夢があった。空からビデオを使って富士山を撮ってみたい。
湖を上から撮影してみたい。いままでスキーやロッククライミングのビデオを撮り
小さな映画にしてインターネットに配信してきた。同じようなことをパラグライ
ダーでやってみたい。パラグライダーで飛んでいる時ははつねに両手が塞がってい
て(例のつり革のようなものを操っているから)自由にカメラを構えることはでき
ない。そこで、ヘルメットに小型のビデオカメラを取り付ける工夫をした。思いも
かけずかんたんに撮影が可能になった。そしていまいくつかのパラグライダーの映
画がネット上に公開されていてだれでもアクセスできるようになっている。やる気
になればいろいろできるものである。出来上がったパラグライダーの映画をいちば
んよく見ていていちばん喜んでいるのはもちろん僕自身であるのは間違いない。


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