FUJIMI HERMITAGE DIARY

丸太小屋

原始の空間

その1

 自分が丸太小屋に住むようになるとは思っていなかった。それがそのようになったのは偶然と成りゆきの
仕業といえるだろう。水が低いところへ流れるように、というよりも、恋愛とか結婚のプロセスに例
えるほうがよいかもしれない。AかBかという選択肢があった場合、人は自分の好みのものを選
ぶわけだから、何度かの選択ののちに辿り着くものは、その人の好みの表れにちがいない。

 住めば居心地は悪くないだろうとは思っていたが、果たしてそのとおりであった。いちばん驚いたのは夜
たいへんよく眠れるということである。理由はわからない。なぜか深い眠りが長時間続くのだ。熟睡
できるのである。都会の暮らしでコンクリートの家や職場に長いこと身をおいていたから木で作られた家
にいると心が安らぐ。気分もなごむ。子供のころは木と障子と畳で囲まれた田舎の家
でのくらしだったからそれがまた戻ってきたようでうれしい。実のところ、子供の頃に戻って田舎の家に住
んでみたいというのが本当の僕の夢なのだが、夢は夢としておいておこうと思っている。当時の
南信州地方の家は、子供にとって、寒い、暗い、恐い、という現実があった。それを思い出すと
センチメンタルなぼくの夢は急にしぼんでしまうのである。

 それはさておき、今のこの小屋はハンドカットの丸太で作られた築10年以上の古いもので、おそらくカナダ
かどこかからやってきた極太のベイマツで作られたものだ。住人は僕で3代目だと聞いた。広いベランダ
があって、そこにも母屋と同じような太い丸太が使われていて、雨風にさらされて朽ち始めている。
急勾配の屋根に守られた母屋は小さいがは頑丈そうでいつまでも長生きしそうな様子である。

 丸太小屋といえば、住居のなかではもっとも素朴なもののひとつであろう。素朴というよりも粗末な家
というニュアンスがその言葉のなかにあったはずだ。それがいつ頃か、丸太小屋ブームという時代
がやってきて雑誌やテレビでさかんに、丸太小屋が夢の住処であるかのように持ち上
げられたことがあったような気がする。

 小屋はそのころ作られたものらしく、外見や中身をしげしげと観察するとさまざまな試行錯誤のあとが見
られる。建築当時を見ているわけではないから確かなことは分からないのだが、
ようするにいきあたりばったりのいい加減な作りが目につくのだ。丸太が途中で継ぎ足されていたり、柱
が柱の役を果たさない飾りであったり、組み方が間違えているところもある。コンクリートの土台が中途で
途切れて足りなくなっているのはどうしたことだろう。
田舎の大工さんがマニュアルを片手に、見たこともない、まして作ったこともない北米風の建物を苦心
して作ている情景が浮んできて面白い。助っ人は学生アルバイトだったりしたのかもしれない。

 訪ねてきた建築に詳しい友人が、てっきり手作りの小屋だと思って「よくこんなものをひとりで作
りましたね」と誤解されたこともある。あちこちに素人っぽい作りが見えるらしい。
そんなわけで、日曜大工のような作りが、まさに素朴で粗末な感じで気にいっている。古い田舎の実家が
組み細工のような精巧さで職人によって作られていたことを思うと、ここんちの仕上がりはあまりにも幼稚
だが、それはそれで丸太小屋らしい味があってよいのである。これは山小屋なのである。
 ほぞで組むというような技はなく、チェーンソーで仕上げていくのだから荒っぽいといえば荒っぽい、乱暴
といえば乱暴、丸太小屋とはそういうものなんだなあ、とここに住んでみると実感できる。

 先住の人が、この丸太小屋の、なにが気にいらなかったのか、扉や窓をオリジナルの木製のものから
二重のアルミサッシに変えてしまった。そのうえ、すきま風でも入ったのか、ほこりが丸太の上
にたまるのがイヤだったのか、羽目板ですべての内壁をていねいに覆ってしまった。だから中に入れば
丸太は見えない、だから丸太小屋には見えない。アルミサッシの窓をみると殺風景な物置
きのようでもある。
アルミサッシの扉と窓を木製のものに復旧するのに手間がかかった。扉などは自作した。で、ますます
日曜大工風の小屋になってしまった。僕がなにもかも自作したという素人っぽい家具があちこちに置
かれていていよいよ小屋はハンドメイド風の趣きを呈することになって、イイ感じ、になっている。

 羽目板で覆われた内壁は大工さんの仕事らしくきれいにていねいにできていて、二重構造で断熱効果
もたかく、まいいか、とそのままにしてある。
そんなわけでさまざまな人の手が入ったこの小さな山小屋はぼくと黒(犬の名前)のお気に入
りである。黒にとって出入り自由、立ち入り禁止地区のないこの小屋はまさに天国、自分専用の犬小屋
だと思っているらしい。たしかに遠くからみると小屋は犬小屋によく似ている。


その2

 十何年か前、山登りのともだちが脱サラをして白馬に住み着いた。丸太小屋を作る会社でアルバイト
しながら、結局自分の家も丸太で作ってしまった。もちろん自作だ。そこをベースにして仲間
とあちこちの山へでかけた。遊びの基地としてはこれ以上のものはない。白馬といい、丸太小屋といい、
本当にうらやましいと思ったものだ。その後、かれは丸太小屋のとなりにペンションを建てたが、商売気
のない彼はそれも長くは続けず、いまはのんびりと白馬の田舎暮しを楽しんでいる。うらやましい身分
である。

 丸太小屋というものを初めてみたのはいつのことだろうか。ぼくの子供のころの日本にそのような
舶来風の丸太小屋はなかったから、20代のはじめ、カナダの山小屋で見て泊まったのが最初
かもしれない。リトルヨホ国立公園のスタンレーミシェル小屋。山スキーで数日滞在した。そのご
コロラドやスイスなどでもたくさん見かけた。

 コロラドの山中では何度も、春になると、丸太小屋を利用して雪の山を旅した。ランプの明かりたよりの
丸太小屋に泊まることが楽しみのひとつでもあった。薪ストーブで雪を溶かし水を作ったり、パンを焼
いたり鍋を仕込んだりするのはとても面白かった。
 スイスでは泊まっている高級ホテルが、よくよく見てみると丸太作りであることに気がついた。あたりを
見回してみるとなんと村中のホテル、民家のすべてが巨大な丸太小屋であった。4階建て五階建ての
丸太小屋などもあって驚いた。北欧はもちろんヨーロッパの山国では丸太小屋はもっとも一般的な建物
であるようだ。そのノウハウが新大陸に渡ったのは当然といえるだろう。ちなみに僕の見聞では、 ヨーロッパの街ではレンガか石作りのビルディングが当たり前のようである。
ネパールや中国の山奥でも丸太小屋を見つけた。ネズミかえしのついた物置きであったり石屋根の住居
であったり家畜小屋あったりした。
 そのうち、なんのことはない、信州や飛騨、会津、日本の田舎でも丸太小屋をたくさん見
つけるようになった。今風の丸太小屋のことではない。日本人が作った日本の丸太小屋だ。檜枝岐の
丸太小屋は茅葺きの屋根に山百合が咲いていて夢のように美しかった。スイスやチベットのものに似
ていると思った。正倉院などは唐式の建物だろうが、丸太小屋の進化したもののように見える。

 地球上のどこの地方にも丸太小屋はあるようだ。人々は、そこに木が生えていれば、それを使って住居を
作ったのだ。いちばんカンタンで丈夫な作り方が丸太を組み合わせる方法であった。太鼓にすれば隙間
がなくなる。角太にすれば見たところ丸太よりもスマートな家ができただろう。
各地方の丸太小屋を観察するのは楽しい。古い小屋ほど価値がありそうだ。ワイオミングの森の中
でみかけた山岳パトロールの小屋は、本体はもちろん屋根材、家具すべてその近所で伐採された丸太
から作られていて、丸太のすき間を埋めるパテにはコケが使われていた。もちろんその小屋に至るための
自動車道などない山奥の小屋である。電動工具などのない時代に建てられたクラシックなもので、
半分雪に埋もれた小屋はもう傾き始めているように見えた。素朴というよりも粗末な小屋だったが雰囲気は
最高、本来的な山小屋の姿であった。

 クレーンなどの重機がかんたん使えるこのごろは極太の丸太をぜいたくに使った大きな丸太小屋も多い。
屋内には巨大シャンデリアが飾られた御殿のようなものもある。その丸太を製材して節約してつかえば、
御殿のかわりに何十軒もの木造家屋が作れるのにもったいない、というのが、それらを見たときの感想
であった。素朴な丸太小屋が、近頃はログキャビンといわれてぜいたく品になっているようだ。

 丸太小屋は丸太小屋なのだ。大草原の小さな家、ローラ・インガルスのお父さんがひとりで作ったあの
小屋こそ、丸太小屋のルーツであり、丸太小屋の永遠の理想の姿なのだと思う。

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