FUJIMI HERMITAGE DIARY

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MAKING MOVIE

映画を作る

 インターネット映画を作る

インターネットに手作りのホームページを載せたのは1996年だった。そのころで
も世界中には無数のホームページがあって、こんな中にホームページをひとつ新たに
つけくわえたところで一体もだれが見てくれるのだろうかと思ったものだ。いまやそ
の数はその何百倍と増えているのだから、気が遠くなるはなしである。
とはいえ都会から離れたこの山小屋にいても、インターネットをとおしていろいろな
コミュニケーションをはかることができるのはうれしい。メイルはもちろん仕事がら
みの原稿をおくったり雑誌や書籍のデザインや写真を受け渡しすることもできる。ホー
ムページに写真や文章をのせてみんなに見てもらうこともできる。反応も戻ってくる
のが面白い。ネットの中では外国と日本とか、都会と田舎の区別はあまりないようだ。
ぼくのホームページは山登りに関する記事が多い。山登りのクラブつまり山岳会に入っ
てそこで長く山登りを続けているから、ホームページにはぼくとメンバーの登山レポー
トのようなものが多く、半ばクラブの公式ページ的色あいを持っている。総ページ数
は2000ページほどになるかもしれない。文字が多く、写真はせいぜい1ページに
ひとつ、というのが何年も続けてきたスタイルだった。
インターネットの揺籃期は文字情報だけが、大学や企業の研究所など限られた人々た
ちの間で行き来していたはずだ。
そのうち写真が受け渡しできるようになり、モニターもカラー化され大きなカラー写
真もネット上にのせることができるようになった。
それでもそのころの大方のパソコンは事務所や家庭で大きなスペースをとって大きな
顔で居座っていた。電話回線と繋がることもなく閉鎖された環境で使用されているの
が普通だったはずである。そのころパソコン通信という世界があって、そのあたりか
ら一般ユーザーのパソコンは電話回線を通じてよそのパソコンと繋がりはじめたとい
う記憶がある。当時メイルといえばインターネットメイルではなくパソコン通信とい
う小世界の中でのやりとりを言ったものなのだ。いまやそんなメイルを使っているひ
とはひとりもいないのではないだろうか。
当時勤めていた職場で、あーでもないこーでもないと設定をくりかえし、やっとの思
いでインターネットに接続し、その世界をみることができたときは、周辺にいた同僚
が、お、すげーと歓声をあげたものだった。それが1995年、ほんのひと昔前の話
である。
 つねに過渡期でありつづけるコンピューターの世界では、停滞はありえない。いま
やブロードバンドの時代である。いつだれが作ったのか、いま地球上には高速通信の
ネットワークがあまねく行き渡っていると言う。ところが家庭や事務所に入ってくる
最後のラインが電話回線という極めて細い線であるために渋滞状態となっている。そ
の末端の家庭パソコンへの最後の1マイルのネックを解消するのが光ファイバーや有
線テレビ回線、ADSLなどのブロードバンドであるという。それが数年前突然やっ
てきた。あっというまに普及した。そのブロードバンドの幅もいつまでも同じではな
く日々広く太くなっている。このあいだまでISDNのモデムを購入してランの設定
をしていたというのに一年もたたないちにADSLだという。それが半年のちには数
倍も早い8メガADSLに進歩した。その度に新しい機器を導入して再び設定作業を
しなければならない。8メガはすぐに10メガ、100メガなるだろう。ランは有線
から無線にかわり、もちろんパソコン自体のOSも愛用のソフトも日々バージョンアッ
プしている。おまけに、快適なネット環境にしばし安住しているとある日突然悪質ウ
イルスがやってきて平和な生活が破壊されてしまう。パニックである。僕の実感では、
人間がコンピューターを使っているのではなく、使われているのである。主人はコン
ピュータ、ユーザーはコンピュータの奴隷である。
とはいえ、そのブロードバンドのおかげでぼくも新しいインターネットの世界に開眼
することになった、というのがこの項のテーマである。ブロードバンドが普及するこ
とによって、ぼくの作っているホームページも大変化することになったのだ。短い時
間に大量のデータを送り迎えできるブロードバンドのおかげで、いままで文字と写真
一枚だけのぼくホームページの登山レポート集は、何枚もの大きな写真を入れること
ができるようになったし、録音した音や音楽をつけることも可能になった。
ある日、自分や仲間の撮影した美しい山の写真や花の写真を集めてスライドショーを
インターネット上で公開できないものかと考えた。コンピューターと格闘すること数
日、自分でいうのもなんですが、見事なスライドショーができ上がった。妙なる電子
音学のメロディーにのって十数枚の写真がつぎからつぎへと静かにうつりかわりなが
ら上映されるのである。もちろんインターネット上の出来事だから世界中のどこのコ
ンピューターからでもこのスライドショーを楽しむことができるのだ。出来上がって
それをインターネットで見た時、ぼくの感動いかばかりであったろう。ブロードバン
ド時代だからこんな芸当ができるのである。
写真が上から下へ、下から上へ、フェイドインしたりフェイドアウトしたり、かんた
んな指定いれるだけでをありとあらゆるスタイルのスライドショーが出来上がるので
ある。これは楽しい。さまざまなテーマの写真を集めてスライドショーとして順番を
考え並びかえ、ふさわしい音楽をいれる。でき上がったスライドショーは片っ端から
ネットにのせた。その都度感動。いまぼくのホームページには約50本のスライドシ
ョーがのっている。「心和むネイチャーフォトのスライドショー50本」というのが
全体をまとめるタイトルである。
ブロードバンド時代のインターネットへの好奇心はこれだけでは留まらなかった。ス
ライドショーのネタも尽きたかなと、一段落していたころ、動画をホームページにの
せることはできないだろうか、と考えはじめたのは私の脳裏に巣食う暇つぶし虫だっ
たのにちがいない。ハリウッド映画の予告編などはすでに数年前からネット上にのせ
られている。アメリカから発信されるホームページには動画やアニメが入ったものも
ある。日本でもいくつかのホームページでは動画が上映されているらしい。動画とい
うのは一秒間に10コマとか20コマと、なん枚もの写真を集積したものだから短い
時間であっても膨大な重さのデータになってしまう。スライドショーの比ではない。
ブロードバンドが普及していなければ例えインターネット上で動画が公開されていた
としても、だれもそれを見ることができないものなのである。
 インターネットはアメリカが発明して始めたものだ。だからアメリカのものはとに
かくすすんでいるのである。けれどもアメリカでできることがここでできないわけは
ない。2、3日、映画をインターネットで上映するためのしかけと方法を考える楽し
い時間があった。
山登りの世界にはスポーツ的な要素もある。クライミング、スキー、高所登山などは
言葉や写真だけでなく動いているもの、つまり映画やビデオでみて初めて分かる、し
かも楽しい、というジャンルのものではないだろうか。ぜひクライミングやスキーの
世界を映画にしてみたい。
早速、映画作りに取りかかった。ビデオカメラは手持ちになくビデオを撮影した経験
も少ない。たまたま持っていたデジタルカメラには動画撮影機能がついていた。これ
だ。と早速取材にでかける。
ちょうどクラブの仲間と近所の三つ峠へとアイスクライミングに出かける日だった。
その小さなデジタルカメラを胸ポケットに入れて雪の山へむかう。山小屋から車で3
0分。歩いて30分のところにその氷の滝はあった。氷の滝をピッケルとアイゼンを
使ってよじ登るのがアイスクライミングである。氷の滝というものは、真冬の山、そ
の奥の日の当たらない谷間によく発達していて、アイスクライミングというものは、
見るからに寒そうな、実際冷凍庫のような極寒の場所で行われるスポーツなのだが、
これがなかなか楽しいクライミングなのである。人気もある。
相棒がピッケルを氷に叩き込みそれを支えにして、つぎに登山靴につけたアイゼンを
けりこみ登る。砕けた氷が飛び散る。ロープで相棒を確保しながら片手でカメラを持っ
て撮影した。
撮影したデータは、あらかじめ考えてあったムービーソフトやファイル変換ソフトを
つかいあれこれ手練手管を駆使して作品とした。芸術的センスも必要だが、パソコン
で映画を編集するのは一種の頭の体操のようなものでそれはそれで面白いものである。
この初めての作品はわずか30秒の小品だったが、ぼくの作った生まれて初めての
「映画」ということでいまでもホームページにのっています。ピッケルがが氷の壁の
反響する音が生々しい。くだける氷の結晶がきらきら輝いてきれいだ。タイトルは
「THE HARD TRUTH」というもの。もちろん効果音もばっちり、音楽もはいって、さら
にタイトルからエンドマークまで入っているのです。自分の撮影した映画をインター
ネットで見るのは楽しい。とくに人物が画面のなかで動き回っているのを見るのは新
鮮な感覚である。テレビでもなくインターネットで動画見るというのはちょっと前ま
で夢のようなことであったのだから。三度言う。これもブロードバンドのおかげであ
る。
出来上がった映画をなんども見ていると、あーすればよかった、こんどはこうしよう、
とハリウッド映画の監督にでもなった気分にもなってくる。
これに味をしめてこの冬は山登りに行く時は必ずデジタルカメラを携帯、アイスクラ
イミングはもちろん、スキー、クライミングと撮影を続けることになった。結局、ムー
ドものからハウツものまで30本ほどの映画を作った勘定になる。乱造という言葉が
ふさわしいかもしれない。撮影した素材はすぐに手持ちのノートパソコンに取り込み
編集する。その日か翌日にはインターネット上で公開されるというスピード制作であ
る。いずれもせいぜい1分から2分の超短編映画だが映画であることには変わりはな
い。実際問題、ブロードバンド時代とはいえこれ以上に長い映画の公開は今ところイ
ンターネット上では無理があるのである。2003年の現状です。
ズーム機能もないデジタルカメラだが画質は問題なく、とくにインターネットにのせ
るにはデータを軽くするため画質を落とさなければならずいま持っているデジタルカ
メラの画質ではまだ上等すぎるほどなのである。
野菜作りや家具つくりなど手作りの楽しさを知ってしまった自分ではあるが、手作り
映画をインターネットで公開することになるとは、ほんと、この間まで思いもよらな
かったことであった。それほどパソコンは現代人の世界に浸透しているのだ。それを
うまく利用すれば、ハリウッド映画と同じように自分の作った映画を全世界に配給で
きるのである。しかも無料で。これはパソコン時代の新しいドゥイッツユアセルフか
もしれないな、とこの稿をしたためながら感じたものである。
なにはともあれ百聞は一見にしかず。ぜひ御覧になってください。ホームページのア
ドレスは
www.edico.jp
です。
くだんの映画を開いてみれば、想像以上に画面が小さい、と思われるかもしれません。
インターネットでの動画はテレビとは異なります。どうしてインターネットで上映す
る映画は小さくならざるを得ないのでしょうか。その答えはいままで述べてきたこと
から類推することが可能です。正解についてはまたの機会に御説明いたしましょう。



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