FUJIMI HERMITAGE DIARY

photo:kisya

人のいない氷の沢を登った

 

2.25

風は強いが天気はよい。

東京からやってくる大淵さんと土屋くんと西湖の入り口で待ち合わせ。愛犬を載せて,

予定の0930ぴったりにつくと緑色の車が止まっていた。湖は凍ってはいないが青黒く

深い色。

やあ、やあ、思ったより雪がすくないね、こりゃハイキングになってしまうかな。と

大淵さん。

今日はアイスクライミングがテーマなのだ。前々から秘かに見つけていた場所に案内して

くれるという話しなのだ。

ほら、あそこだよ。と大淵さんが湖の北岸の山なみを指差す。冬枯れの山肌、その上の

稜線。沢が突き上げるくぼんだ峠の下に細い一筋の氷か雪か、がみえる。

あそこならアイスクライミングができるかもしれない。でもこりゃけっこう遠いや、とは

思ったが、久し振りの山歩きだ、体を動かすのは楽しみでもある。秘密のアイスクライミ

ングのエリアと聞いて、車からちょと歩いていきなり氷の滝、という連想をしてしまった

のだが、そんな便利なシークレットポイントがあるわけもない。

 

国道から外れて村中に車をいれる。神社の脇のスペースで山登りの準備。ピッケルやア

イゼン,ロープなどがちゃがちゃと音をたててザックに入れる。あたりはのんびりした村

の景色、といいたいところだが、なぜか廃屋が多く、朽ちた茅葺きの農家や雨戸を閉じた

しもたやなどが点在している。過疎なのか。湖の南岸で住みやすそうなところに思えるの

だが。山に向かって村外れまで行く。クロが歩くのをみて、足が悪いようだね、と大淵さ

んが言う。くろも11歳、後ろ左足が故障しているのだ。大淵さんも17年連れ添った愛犬を

数年前に失っている。

くろは行けるところまでいってダメなら戻ったほうがいいね。と大渕さん。そのとおりか

もしれない。

いきなりエンテイがでてきて、本沢に入ってからもいくつもエンテイが続く。一度間違え

て枝沢に入ったがそこにもエンテイ。沢床から右岸の尾根にあがると獣道のような踏み後

がある。熊かシカの足跡のようなものもあちこちに。いまは獣道かもしれないが、村の裏

山だから、その昔はしっかりした山道があったのだろう。

再び沢におりて沢筋をつめる。雪が一面に続くようになってラッセルがたいへん。傾斜も

でてくる。クロも必死に登ってくる。トレースのあとを追えばらくなのに、くんくんしな

がらあちこち歩きまわるので、人の倍以上にエネルギーを使っているのではないだろうか。

土屋青年はもくもくとついてくる、若いのだから先頭をきってラッセルでもすればよいの

に、と思うが、まだ雪山んぼ経験がうすいのかもしれない。

こりゃ、クロは無理だなと思うころ、

「あったあった、氷の滝だ」と大淵さんのこえ。10メートルほどの氷ばくが前方の現われた

。手ごろなやつだ。

 

早速滝の下で準備を整える。大淵さんチームがロープを出している間に、気持ちが湧いてきて、

アックスを両手にもつとさっさと登りにかかる。柔らかい氷だが、びしばしとピッケルと

アイゼンが決まる。これは快感だ。傾斜は60度くらいだろうか。こんなアイスクライミン

グがぼくにはぴったりだ。

大淵さんたち、あるいはよく見かける古い、あるいは中高年の氷好きたちのアイスクライミン

グはこんな快感がモチベイションになっているのだろう。

 

あっという間に登りきってさらに上をのぞくと、沢はますます急になるが氷の滝らしき

ものはない。歩きにくそうな沢床といくつかの水のながれるごつごつした小滝がつづくば

かい。

大淵さんがトップでロープをつけて登ってきた。どうやら土屋青年は発展途上のクライマーのよ

うだ。写真を何枚かとる。

黒は心配そうに見上げていたが、呼ぶと左岸の尾根にのぼって、あえぎ這いずりあがってきた。

ここでいいか。とクロと自分に言い聞かせて、大淵チームに戻ることを告げる。

犬は大切にしないとね、と笑って大淵チームは面倒くさそうなトラバースをしながら沢を登っ

ていった。

下りは1時間ほど、古い道形をみつけてなんのこともなかった。人の足跡もある。ハンターか、

たき火のあともあった。登山者が入ることのない山道だがなんらかの目的をもった人間がここ

にやってきているのだ。一部に人にとって裏山に続く村の裏道はまだ忘れられてはいないのか

もしれない、湖畔の温泉センターで風呂にでも入るか、と村の道を下っていくと、小さな慰霊

碑が目にとまる。昭和46年に立てられたものだ。

昭和41年9月20日にこの村を災難がおそったらしい。30人ほどの村人が遭難死したと書かれてい

る。事情はわからない。日にちが分かっているので状況は調べればわかることだが、湖の南岸

の平和な村を襲った悲劇を思う。廃屋の目立つ村の景色、登りに出会った連続するエンテイ、

そのあたりのことが、悲劇とかかわりがあるのに違いない。と勝手に想像する。9月20日という

日付も、そんな推理を裏付けているようだ。

車に戻り、村ととなり村をつなげる古いトンネルまで走る。車をとめて山を見上げる。午後の青

空の下、はるかかなたに微かに朝方に見上げた雪の壁が見える。

大淵チームが登っているはずだ。古いトンネルは車一台がやっと通れるものだったよう

だ。文化洞と名付けられていて、新しい近代的なトンネルに役割を譲っていて、それは

すっかりコンクリートに埋めつぶされている。

山と湖がよく見える。村の様子も俯瞰できる。古くて危険だから、あるいはごみ捨て場にでも

なったら困る、というような事情でコンクリートを詰め込んでトンネルを閉鎖したのだろうが、

コンクリートは古い記憶もそのかなに閉じ込めてしまったかのように見えた。

まだ日が高いうちに小屋に戻ってきた。

クロが使いすぎた足をなめながらストーブのそばで寝転がっている。風呂上がりのビールのせい

かうつらうつらしていると、電話がなった。大淵さんだった。

登ったよ。まずまずの氷の滝があったよ、とうれしそうな声。いままで登った記録がでていな

いと思われる氷の沢と滝を登ったのだから、それがうれしいのだ。

くろにはあの先はやっぱり無理だった、ともいう。くろにもぼくにもよいトレーニングになった。

冬枯れのハイキングとちょとしたクライミングは悪くなかった。久しぶりに大渕さんとも山登り

ができた。いい日だった。

ではまた、行きましょう。と挨拶して電話を置いた。

昭和41年の災害については、それと大いに関係のあるホームページを見つけ
ました。
素晴らしい記録写真です。
三浦さんの西湖今昔物語へ
http://www.mfi.or.jp/kazuo/index.htm
そのご、川崎カメが、小学生時代、ボーイスカウトでこの村にやってきて山道
に迷い、村の人に助けられたという話をききました。災害のときは、そのとき
お世話になったボーイスカウトで見舞金を集めて送ったおという話もしていま
した。

 

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