OGAWAYAMA STORY

小川山ストーリー 
山中嘉朗

 
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晴れたらイタダキ

小川山ストーリー 


 初夏のある日、国友という友人に誘われて小川山の岩場に行くことになった。長野県
信濃川上村廻り目平周辺のロッククライミングだ。
 国友の性格や行状、個人史については別の機会のゆずっておこう。100枚くらいは
書けそうだから。とにかく、山と酒が好きなオヤジではある。
 朝5時に起きて都内をでる。スムースなら3時間のドライブだ。9時ころには着くか
ら、都内からの日帰りも可能だ。私たちもその予定。
 廻り目平にはさわやかな朝の光と新緑が待っていた。いくつもの岩塔が朝日を浴びて
周辺にそびえている。気分がひきしまる。ここには1年に2度か3度くる。今年ははじ
めて。「ほらあそこ」国友がまだ日の当たらない東側の山腹の岩塔をさす。垂直の岩場
をたしかに人が登っている。
「あれ小川山ストーリーだっけ?」国友がうなずく。あとで行こうという。洒落た名前
のルートだ。あそこをリードで登れるようになるのが前からの私の念願だ。 

 蒸し暑い東京の陽気とここは雲泥の差。駐車場には数十台の車がとまっている。
「きょうはクライマーが多いな。」国友はそのあたりにいる何人かのクライマーと世間
話しをしている。そのうちにAさんという知り合いを紹介してくれる。
 Aさんには二人の連れがある。その中のひとりは私も知っているCさん。八ガ岳に
いっしょに登ったことがある。そういえば、クライミングをやり始めたとか、その時
言っていたような気がする。
 Aさんのもうひとりの連れは若い女性B子さん。クライミングタイツをはいた小柄だ
が意思の強そうなカンジの人。きつそうも見える。クライミングも上手そうだ。
「いい機会だから、いっしょにのぼりましょう」国友が言う。 私も、クライミングは
うまいが、酒を飲むほうがもっと得意な国友と二人だけでクライミングするよりも、今日は
にぎやかにやったほうがいいかな、と思っていたところだ。私を含む男どもはそんなに
若くない。3人とも40歳あたりか。B子さんだけが場違いといえるほど若い。
 Aさんはクライミングのエキスパートのはず。うまいひとばかりでは気後れがするも
のだ。Cさんが私と同じくらいのレベルだとうれしいのだが。
 各自、ザックにロープやシューズ、ランチなど入れて近くの岩場にでかける。B子さ
んが話しかけてくる。
「クライミング、長いんですか」
「十年やってますけど、回数は少ないんです。年に数回だから。いろいろ教えてくださ
い。」正直に答える。
「あら、わたしこそ。まだ2回目なんです」
 笑顔がさわやかだ。それにきれいな人だ。

 川を石伝いにわたって対岸へ、リバーサイドというエリアにむかう。先着のグループ
もいてにぎやかだ。岩壁の左はしのルートがあいているので、そのまえにザックをおろ
し、身支度をととのえる。5.9のルート。小川山ではかんたんな部類のルート 。
 私がビレイし、国友がするするとこともなげに登る。
「きれいだわ」B子さんがためいきまじりに言う。国友の顔がきれいなわけがないか
ら、登りかたがきれいということだろう。
 国友がトップロープを設置してくれる。
 どうぞ、どうぞ、と譲り合って、Cさんが登ることになる。私と同じくらいの年配、
「久し振りだからどうかな」といいながら、うまく登っていく。危なげがない。リー
ドでも登れるくらいだ。
「うまい」お世辞でなくそう思う、が口にはださず。
 B子さんが登る。身軽だ。1、2カ所でちゅちょしたけれど、一度も落ちることなく登
る。室内ジムにもいっているとかで、始めてまもないが、上達が早いようだ。
「上手ですね」思ったとおり言う。
 やがて私の番。「しばらくやってないから」似たような言い訳をしてから登り始める
が、いまいち、体が重い。

「そこのガバとって」「足はもっと左」とか、下からはみなさんのアドバイスが聞こえ
る。夢中になっていると、右も左もわからない。あやうく落ちそうになる。B子さんの
「がんばって」の声にはっとした瞬間、岩角にのせていた足がスリップして数10セン
チ滑り落ちる。「危ない!」とおもわず叫んでしまう。下の応援団から笑い声が聞こえ
てくる。
「危ないことなんかないよ、オレがしっかり確保しているんだから」国友が言う。そい
えば今風のロッククライミングは危ないことはないのだという。しっかり安全が確保さ
れているので、危険なことはないというわけだ。なるほど、それはそうだが、じゃ、こ
わいこともない、というのだろうか。
 次の核心部でももたもたして、私の実力がみんなに徹底周知されて、ようやく終了点
に達する。ロワーダウンでするするとつり降ろされる。
「あそこは、思いきってガバをとりにいくと、あとはラクなんです」とCさん。なるほ
ど、思いきりが悪かったのか、とうなずくが、そのときは、体が萎縮して動けなかった
のだ。はっきりいって、怖かったのだ。
 B子さんがテルモスのコーヒーを出してくれる。やさしい性格を持つ方のようだ。 

 国友が親切にもリードクライミングの練習をしましょう。といってくれる。近くのや
さしいルートで、トップロープをセットして変わるがわる練習する。トップロープはあ
くまで安全確保のためのもので、練習するひとは、もう1本のロープをつかって実際の
リードクライミングと同じようにしてに登るのだ。ビレイする人が二人必要という贅沢
な練習方法だ。
 私はもっとかんたんな岩場で、丹沢の広沢寺ゲレンデというところが多かったけれ
ど、何度かリードクライミングをしたことがある。小川山では数えるほどしかない。こ
のシステムなら安全にリードの練習ができる。「これなら安心だね」cさんもいう。し
かし、これで上からの安全確保のロープがなかったらどんなに緊張することだろう。
 B子さんは、覚えがいいのか、神経が丈夫なのかまたたくまにリードクライミングの
コツを実につけたようだった。


 ランチのあと、朝方に見た、小川山ストーリーという例のルートにむかう。人気ルー
トらしく、順番待ちになっている。あいているほかのルートで練習してから再び小川山
ストーリーにとりつく。トップロープだったが、そこそこ登りきることができた。「な
かなかいいルートですね」と一人前の口をきく。自分がうまく登れたルートはつねに
「いいルート」なのである。
 登りおえるといきなり饒舌になるのは私ばかりではないようだ。同じルートをきれい
に登りきったcさんは「今度はリードしたいですね。クライミングは力よりもテクニッ
クが大切だから、年はあんまり関係ないようですよ」と私にいう。うん、うん、そう
か。私ももっと練習して、このつぎはこのルートをリードしたいものだな、と思う。

 国友とAさんは二人でもっと難しいルートを登りにいってしまった。連れられてクライ
ミング派の3人がトップロープで交代交代登る。クライミングにきていると、登っている
時間は案外短く、ビレイしたり、他のひとがのぼっているのを見物したり、おしゃべりし
たり、食事したりする時間が多いものだ。自分が登る時は必死だが、それ以外の時間は
ゆったりと流れるのがいい。
 やはりするすると登ったB子さんが、自宅が私と同じ沿線にあることを知って、「今
度、ぜひクライミングジムにいって練習しましょうよ」と言ってくれる。若くて美しく
てやさしい女性から誘われるという経験を半生のあいだ持った記憶のない私は、いちも
にもなく、「ぜ、ぜひ御願いします」と答える。よーし、こんどは小川山ストーリーを
絶対リードするぞ。ヤッホー。
 いつのまにか戻ってきていた国友が彼女の発言を聞き逃すはずがなく、しっかりと出
張ってくる。「あのジムは…」と知っているかぎりの話題を提供し、「じゃ、いつにし
ましょうか」と日取りまできめてしまう。次の小川山でのクライミングの予定も決めて
しまった。
 クライミングは楽しい仲間とやるのがいいし、そこで切磋琢磨することで上達するの
ではないかと思う。だからそんな友達の輪がひろがるのは素晴しいことだ。

 いつのまにか日が傾いていた。焼肉でも食ってかえろうぜ。と国友がいう。Aさん
が、「いいとこ知ってまっせ」。B子さんも「素敵ね」と賛成してくれる。若い女性と
焼肉をつつくということもここ何年もなかった事件だ。
 体をつかわない日に美食飽食するのは罪悪感がともなうものだが、クライミングとい
う大仕事をした日には、なにを食べても許されそうな気がする。B子さんに上カルビで
もご馳走したい気分だ。われわれは川上村の街道ぞいにある焼肉屋へと車でむかった。 

(やまなか よしろう・自由業)


 

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