MODELATE CLIMBING

モデレートなクライミング 

徳地保彦 YASUHIKO TOKUCHI

PHOTO BY K-ITO
 
 
 いままで打ちこんできたこと、興味のあったことが突然につまらなくなったり、いつ
のまにか
遠のいてしまったりすることがある。クライミングでも知らない間にモチベーションが
下がって
いき、気がついたらもう2、3年も登っていないなんてことがぼくにもあった。モチベ
ーション
を一定に保ち、登りたいという気持ちをもち続けることは、ひょっとしたら5・12や5
・13を
登るより難しいのかもしれない。

 今回もまたそんな低いモチベーションとは無縁の友達、マイケルと週末のクライミン
グを楽し
みにきている。ぼくらはすでに中年まっさかりだし、こうやって週末出かけてくるには
当然カミ
さんの認可が必要なのだ。遅く結婚したマイケルにはこの春赤ん坊が生まれることにな
っている
し、ぼくは厄年のせいか最近いろんなことがあってミッドライフ・クライシスをつくづ
く実感し
ている。つまり、ぼくらにはクライミングが遠のいていく言い訳がくさるほどあるのだ
。それで
もウサばらしというのではないけど、クライミングに行きたいなあと思ったり、実際に
登ること
が心底楽しめて、充実した時間を過ごせたことに満足し、疲れ果てて家に帰ってくるこ
とが最高
なのだ。クライミングが楽しめる健康、いっしょに登る気の合う仲間、クライミングに
行ける経
済的・時間的余裕があることのすばらしさを実感してやむない。

 それにしてもマイケルのモチベーションの高さには感心する。ロサンゼルス郊外、リ
バーサイ
ド郡の建設課に勤める彼は、毎朝4時に起きて2時間ほども車を走らせ現場に通う。カ
リフォル
ニアで2時間のドライブというと200㌔近くの距離になる。新婚だから飯場には泊ま
りこめな
い。そのくせぼくがクライミングに誘えばいつでもOKなのだ。結婚する少し前には冬
のバフィ
ン島へひとりで出かけたりもした。彼はいつでも少年のように山やクライミングのこと
を考えて
いる。そう紹介すると経験豊富でレベルの高いベテランクライマーに違いないと思うか
もしれな
い。ところが実際は体重も100㌔以上あって古ダヌキのような巨大なお腹だし、経験
のほども
ぼくとたいして変わらない。トレーニングもやる気はあっても時間がない。体が重いの
でオー
バーハングはだめ、5・9が精一杯。マイケルはぼくと同じ典型的中年週末クライマー
というわ
けだ。

 マイケルがいくつになってもモチベーションが下がらないのは、カリフォルニアとい
う恵まれ
た土地で生まれ育ち、クライミングを始めたからかもしれない。夏でも冬でもりっぱな
エリアが
たくさんあるし、それぞれが個性的でルートも豊富だ。今日マイケルと来ているのはタ
ークイッ
ツという岩場でアメリカのクライミングシーンでも歴史的なエリアだ。あのロイヤル・
ロビンス
がフリー化したアメリカで最初の5・9ルートがある岩場として知られる。フリークラ
イミング
が日本に紹介されて以来すっかり定着してしまったヨセミテ・デシマル・システムのグ
レード法
発祥の地でもある。スポーツルートは少なく、ナチュプロで登るモデレート(中級)な
ルートが
ほとんどだ。それでもクラック登りに不慣れだったり、ナッツ類がうまく使えなかった
りすると
けっこう手間どってしまう。マルチピッチでルートファインディングも難しい。あると
き、頂上
で見かけた若いふたりのクライマーは8ピッチの5・8ルートを登ってきて完全にメゲ
てしまっ
ていた。「あんなに悪くて5・8ってことはないよな。5・10bは絶対ある」「それに
してもビ
ビっちゃったよな」とボソボソと話していたのを聞いたことがある。ルートファインデ
ィングに
失敗したのか、実力がなかったのかはわからないが、彼らにとって手応えのあるモデレ
ートルー
トであったことは確かなようだ。

 最近アメリカのクライミング雑誌でこのモデレートという言葉をよく見かけるように
なった。
ロック&アイス誌の89号では“???(三ツ星)”という新連載の紹介でモデレートの
意味を説
明している。ただ簡単なルートをモデレートと呼ぶのか、平均的で中級程度のルートを
さすの
か、はっきりと定義づけするのは難しいようだ。だいたいは5・10くらい、ときには5
・11も
含まれるがすべてがいつもやさしいルートとは限らない。そして、ロック&アイス誌が
近ごろ行
なったアンケート調査によると、読者の43%がほとんど5・9かそれ以下でクライミン
グを楽し
んでいるという。そういう調査結果をふまえて、アメリカの5・9以下のルートを紹介
する
“???”という企画が生まれた。クライミングを楽しむ半分近くの人にとって5・9
というグ
レードはけしてやさしくはないし、上級者の目もしっかりひきつけることが条件だから
、連載の
名前は5・9アンダーなどとはしないで“???”となった。ちなみに、この89号では
第1回目
としてテネシー州のサンセット・ロックを取り上げている。垂壁やクラックを登るすば
らしい写
真が載っているが、そのどれもが5・6や5・7、あるいは5・8のルートを登ってい
るもの
だ。“???”で取り上げるルートはやさしくもなければ、難しくもない。ただ純粋に
すばらし
いクライミングを紹介するものだという。よいモデレートなルートとは、グレードには
こだわら
ずだれでも楽しめることが条件のようだ。

 生活のための必要悪ともいわれる仕事の時間はもちろん、それ以外の時間も含め10
0%クラ
イミングに投資できないぼくらにとって、こういうモデレートなルートの存在価値は高
い。凡人
には5・11でさえなかなか手強く、まして不摂生でトレーニングにも身が入らなければ
、上級者
に仲間入りするのはほとんど不可能というものだ。ひとつ上のグレードばかり追い求め
るのでは
なく、視点を変えて楽しめるべきルートを楽しむ。ぼくやマイケルのような中年週末ク
ライマー
が高いモチベーションを維持していく秘訣だ。ぼくはいま、幸か不幸か南カリフォルニ
アにいる
からそんなルートには事欠かないけど、日本だって捨てたもんじゃない。小川山のスポ
ーツルー
トが難しそうなら、久しぶりに三ツ峠の鶴亀ルートだ。中央カンテだって登っていて気
持ちがい
い。谷川や北岳の本チャンルートだって快適なのはたくさんある。何回も登ったルート
でも、メ
チャクチャやさしいルートでもかまわない。腕を伸ばしホールドをつかむあの感覚、静
かにそっ
と足裏でとらえる岩肌の感触はどんなルートでも変わりない。クライミングできる喜び
、自然の
なかで思いきり遊べる幸せを忘れないようにしたい。

 ところで、今日、ぼくとマイケルがタークイッツで取り付いたのはフィンガー・トリ
ップとい
う5・7のクラシックだけど、これがまた楽しい。ぼくらにとってはまさに“???”
のモデ
レートだ。ぼくはクラックが苦手だからこれくらいでもけっこうスリルが味わえるし、
今日はフ
レンズやTCUなどのスプリング付カムデバイスはいっさい使わずオールナッツで登る
ことにし
ているので、プロテクションやアンカーをつくるのが頭を使うパズルのようでおもしろ
い。岩場
自体も大きいので壁のなかでクライミングしていることが実感できる。ジョシュア・ツ
リーなど
ではちょっと味わえない雰囲気だ。第1ピッチでは少し長めのレイバッククラックもあ
ったし、
クラックをたどり左上する第2ピッチの高度感もまずまずだ。マイケルはフーフーいい
ながらも
快調にフォローしてくる。10月に入り、みんなジョシュア・ツリーに行きだしたので周
りにはだ
れもいない。やがて昼寝のできる大きなレッジに登り着いた。マイケルはニコニコしな
がら「い
やぁ、クラシックだなあ」と感激しているし、ぼくはぼくで町ではほとんど味わえない
南カリ
フォルニアの秋を、見おろして広がる紅葉の林と澄んだ青い空で満喫しているのだ。そ
して今日
も出かけてきてほんとによかったとふたりで確認し合う。こんなクライミングの思い出
が、町に
もどったぼくらのモチベーションを高く保ってくれるのだ。

 クライミングを始めたばかりの、とくに若い人たちのなかにはより高度なグレードを
めざし、
困難を追求することだけがクライミングの最大の楽しみと考えている人が多いかもしれ
ない。そ
してしばらくがんばっているうちに、なんとなくモチベーションが下がりクライミング
がつまら
なくなってしまう。つねに向上をめざしていて挫折してしまうのと、マンネリ化して興
味が薄れ
てしまうのがクライミングが遠のいてしまう原因なのだろうか。低山歩きのようなクラ
イミン
グ、それでいて少しチャレンジングで緊張もする、そんなモデレートなルートがぼくと
マイケル
ふたりの中年週末クライマーのモチベーションを保っている。


写真 飯山健治 (カリフォルニア州タークイッツで)


  

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