THE TWO MARCHENS

ロクスノはじめて物語
松倉一夫/Kazuo Matsukura(作家)

 
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ジャミングことはじめ

 森を抜けると、夕日に照らされ岩峰が屹立していた。黄金色に輝く尖塔岩。長年
の風雨で岩肌はツルツルに磨かれている。
「あれだ。あの穴だ。俺たちはついに見つけたのだ」
 山賊の頭が岩峰の中程を指さした。小さな岩棚の上にリスか小鳥の巣ほどの小さ
な穴がある。
「あそこに、かつてこの辺を荒らし回った山賊が隠したと伝えられているお宝が眠
っている。拳大のダイヤだ。ダイヤさえ手に入れりゃ俺たちは大金持ちだ」
 山賊たちは小躍りし、尖塔岩の足下へと駆け寄った。
 頭は誰よりもはじめに自分がダイヤを拝もうと、さっそく自ら岩にへばりついた
。が、背の高さほども登れなかった。子分どもに肩車をさせたりしたが、尖塔岩の
岩穴へはほど遠い。これまで、いくつかの山賊が挑戦しても崩せなかった岩峰。何
人も寄せ付けぬ難攻不落の尖塔岩。だからこそ、今もお宝は眠っている。
「お前らのなかに、この岩を這い登って、お宝を頂戴してこようというものはいな
いのか」
 頭が声を荒げた。入れ替わり立ち替わり、子分たちがとりつく。が、まるで歯が
立たない。
「高さはさほどじゃない。せいぜい大木のてっぺんほどだ。何とからならんのか。
あの小さな岩棚にさえ手が届けば」
 いつも見張り役の小男が前に進み出た。男はどんな木でも猿のようにひょいひょ
いと登る。
「よーし、お前やってみろ」
 頭が期待を込めて言う。
 しかし、結果は見えていた。枝がなければ登れない男なのだ。
「誰か、縄をかけろ」
 頭の声に、投げ縄の名手が縄を投じる。しかし、ひっかかりどころがない岩はす
るりと滑り落ちてしまう。
「確かにこれじゃ、誰もあの穴には近づけねーぜ。それにしても、その山賊はどう
やってあそこまで登ったのだ」
 頭はあたまを抱えた。
 そんなときだった。少しおつむが弱くいつもおとなしいジャムが言った。
「岩の裏に回ってみると所々に小さな穴や割れ目があるよ」
 山賊たちはすぐに裏へと回った。なるほど、日の当たらない裏側にスポット的に
小さな穴や割れ目がある。
「そうだ。これに違いない」
 頭はさっそく、見張り役の男に偵察に行かせた。
「いける、いける」
 男はどんどん尖塔岩を登っていった。しかし、岩の切れ目がなくなったところで
行き詰まった。
「これ以上はもう無理だ」
 男が言った。
「その左手に穴が続いているじゃないか」
 頭が叫ぶ。
「ダメだ。穴は油のようなものが溜まっていて滑ってつかめない」
 どうやら、山賊は最後の難関として手がかりを使えないように油を流し込んでい
ったようだ。
「あそこさえ、通過できればあの岩棚に立てるのに」
 男は一度下りてくると、くやしそうに言った。
「よし、油をぬぐい取ろう」
 次の男が砂や布を持って登っていった。しかし、しばらくすると下りてきた。
「ダメだ。岩に完全に染み込んでしまっていて拭いても拭いても滑りはとれない。
砂を入れてもすぐにヌルヌルだ」
 どうしたものか。男たちは悩んでしまった。そのときだった。ジャムが言った。
「僕が行って来るよ」
 誰もが無理だと分かっていた。しかし、ジャムは難なく穴をつかみ、岩棚へと這
い登ったのだ。
「やっぱり」
 ジャムは岩棚の上で、子供の頃母親に叱られたことを思い出していた。油壺を覗
こう片目をつぶった拍子に口が開き、なめていたキャンディが油壺のなかに落ちて
しまったのだ。ジャムはキャンディを取ろうと右手を壺につっこんだ。そして、キ
ャンディをつかんだ。すると、入ったはずの手がどうやっても引き抜けなくなって
しまったのだ。結局、油壺を床に叩きつけ割ってしまった。そのとき、ジャムは油
壺のなかで手を握ると抜けなくなる、抜くときは手を開けということを学んだのだ
。
「よーし、よくやったジャム。その穴のなかにダイヤはあるか」
 頭が呼びかけた。
 ジャムが覗き込むと、キラキラと輝くダイヤが確かにあった。
「うん。あるよ」
「大きさは」
「リンゴぐらいある」
 ジャムが大声で答えると、歓声が沸き上がった。
「でかした。それをつかんで持ってこい」
 ジャムは右手を差し込むとギュッとダイヤをつかんだ。手が抜けない。ダイヤを
離した。手は抜けた。
もう一度手を入れた。つかむ。抜けない
「どうすればいいんだ」
 ジャムは手を穴に入れたり出したりしながら考えた。油壺のように岩は割れない
。
 でも、こうしてジャミング技術の第一歩が記されることになった。



ナッツことはじめ

「そっちへ逃げたぞ」
 十手をかざして、銭形平次は賊を追った。子分たちが後に付く。しかし、逃げ足
が早い。どんどん距離が離れていく。
「すばしっこい奴め。これでもくらえ」
 平次は惜しげもなく銭を投げまくる。が、届かない。
「だめだ。お前らはこのまま追え。挟み打ちだ」
 平次はそう言うと、自分は路地を右へと走った。この先で追いつくはずだ。平次
は走りながら、ここで取り逃がすと二度と捕まえられないだろうと考えていた。5
年越しで追い続けてきた。やっと奴の尻尾をつかんだのだ。
「待てー」
 子分たちの声と足音が近づいてきた。
「よしっ」
 平次は路地を回り込んだ。奴の姿が見えるはずだ。いない。霞のように消えてい
た。
「どこへ行った」
 平次たちが見回す。
「あそこに」
 一人が指を指す。屋根の上を、猫のようにするすると這い登り、走っていく姿が
あった。
「追えー」
 再び追跡がはじまる。
「いいぞ」
 平次は思った。町外れの向こうには屏風岩が立ちはだかっている。行き止まりだ
。
「追い込めー」
 二手に分けると、平次は奴を屏風岩へと追い出した。
「奴も袋のネズミだ。年貢の納め時だ」
 確信に満ちた声だ。高さ十間以上はあろうかという切り立った岩。どうあがいて
も越えることはできない。
「左へ逃げたぞ」「いた、いた」
 子分たちの声がだんだん近づいてくる。
「見つけた」
 平次親分の声がひときわ高く響いた。銭が飛ぶ。奴の肩をビシッと打つ。会心の
銭投げだ。我ながら「決まった」と平次はほくそ笑む。それでも、男は屏風岩へと
走った。
「あきらめろ」
 十手をかざして平次はゆっくりと近づいていく。
「無理だ。お前には越えられんよ」
 その時だった。上から麻縄がするするすると下りてきたのだ。仲間がいたのだ。
「俺は山猿だ。こんなの屁でもねー」
 男はあっという間に屏風岩を登りさった。
「しまった」
 平次が麻縄に飛びつこうとした時はもう遅かった。途中から、縄は切り離されド
サッと落ちてきた。
「待て、待てー」
 平次は叫びながら銭を投げる。が、もう届かない。
「追えー、追えー」
 子分たちが岩の割れ目やくぼみを利用して登り出す。しかし、最上部の迫り出し
た屋根の部分はどうやっても越えられそうにない。こうしてる間にも奴はどんどん
遠ざかる。
「他に道はないのか」
 残っていた子分に聞く。
「右へと迂回できますが半時以上の遠回りです。何とかしてここを越えたほうが早
いかと」
「どけどけ」
 平次は子分たちを屏風岩からおろすと、自ら登りはじめた。迫り出したところま
ではすぐに登れた。しかし、最後が難関だ。ネズミ返しのように立ちふさがってい
る。しかも、見たところ手がかりはありそうにない。
 平次は見えない壁面に左手を這わせた。まるっきり平坦で指先すらかからない。
手を替えて右手を這わせた。
「やはり無理か」
 そう思ったときだった。小さい岩の割れ目に指が触れた。指一本入るかどうかの
隙間だ。中指をぐいっとかけて体重を少しずつ預けてみる。
「だめだ」
 とても指一本だけで体を支えられそうにない。何とかならないのか。
「頑張れ、平次親分」
 子分たちの声が響く。その声を聞き、下を見たときだった。銭が目に入った。
「これだ」
 平次は紐に通したままの寛永通宝を取り出した。指の太さから考え、銭を五枚重
ねて手探りで岩の隙間にはめ込んでみた。下に伸びた紐を握ってギュッと引いてみ
る。
「効いている」
 でも、これが抜けたら一巻の終わりだ。胸がバクバクと高鳴る。
「親ぶーん」
 子分たちの声が響く。さっきの山猿のせせら笑いがよみがえる。
「ええい。ままよ」
 平次親分は銭に命を預けると、垂れ下がる紐に右手でぶら下がった。紐がミリミ
リと言っている。体は完全に宙だ。右手一本で懸垂しながら左手を伸ばす。切れる
、そう思った瞬間、左手が手がかりをつかんだ。
 あとは無我夢中で屏風岩を這い登っていた。
「いざというときは、やはり銭だ」
 平次は山猿の追跡をしながら、あらためてそう思った。
 この5枚の寛永通宝の穴に通した紐が改良され、ナッツへと発展していったので
ある。
 


 

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