フリークライミング全国開拓行脚

北山 真

illus= Mituo Nakamura
 
 フリークライミングというやつも、だいぶん市民ケーンを得てきたようで、今やたいて
いの人がおおまかには理解しているようです。昔のように「ああ、岩にコンコンなにか打ち
ながら登るやつね」とグレイトな勘違いをしている人はほとんどいなくなりました。逆に「
あのロープもなんにも使わないで、落ちると死んじゃうやつでしょう」という新手の勘違い
が出現してきましたが…。

 まして、このホームページの読者のような博学多識の方々にその説明をすることは無用
でしょうから、省かせていただきます。もし、万が一よく分からない方、いらっしゃいまし
たなら「フリークライミングのススメ」山と溪谷社発行、を読んでください。

 しかしこの一見ハデで、スポーティで、アスレチックなフリークライミングの世界に、
“ルート開拓”というジミで、汚く、カッコ悪~い、まさに“裏”の世界が存在することを
知る人は少ないでしょう。

 ルート開拓はまず岩を見つけることからはじまります。初期においては一般の道路や、
登山道の近くにある比較的誰にでも見つけられるものでしたが、それらが登られると“本気
になって探さなければ見つからないもの”がその対象となってきます。地形図の岩記号を探
すのは基本中の基本。ただしこれも完璧ではない(りっぱな岩が抜けていたり、ただの泥壁
が岩記号だったりする。これまでどれだけこの地形図の岩記号にだまされてきたことか。国
土地理院に損害賠償を請求できないものか本気で考えたこともある)ので、最終的には現地
に入って足で調査しなければなりません。まる3日探し回って使えるものはナシ…なんてこ
ともザラなのです。

 さて、運よく使える岩が見つかったとして、その場所が“駅前”とか“コンビニの駐車
場脇”なんてことはまずありませんから、たいていヤブをはらって岩場までの道をつくるこ
とになります。さらに岩にからまるツタをはらい、苔をおとし、浮いた岩を剥がし、クラッ
クやポケットに詰まった泥をかきだし…。この間にムササビやヘビやハチの攻撃をうけるこ
とも多々あります。

 この大土木作業を終えてはじめて、試登したり、ボルトを打ったりといったクライマー
らしい仕事に取りかかれるのですが、これがまた脆い部分があったりして思うような位置に
ボルトが打てなかったり、試登中に重要なホールドがポロリととれてしまい、カケラを集め
て接着剤でくっつけたりと結構ひと筋縄ではいかないことが多いのです。

 じゃあ、なぜわざわざそんなにシンドイことをやるのか?
 そりゃあ、おもしろいからにきまってるじゃないですか! 有史以来、だれも触ったこ
とのない岩を自分勝手なラインで登る。こんな贅沢な行為はめったにできるもんじゃありま
せん。新しい岩が木々の間に間に見えたときのあのわくわくする瞬間、そしてたどり着いた
岩がすばらしかったときのあの背筋が寒くなるような感動。その後、すこし気持ちが落ち着
いたら料理の鉄人に変身します。全体で何品(何本のルート)できるのか、前菜(ウォーム
アップ)は?、メインディッシュ(看板ルート)は?,などと素材(岩)を検討する…。ま
さに開拓クライマーのみが味わうことができる、至福の時といえるでしょう。

 人工壁、コンペ、トレーニング法、フィットネスがどうの、ニュートリションがこうの
とどんどんスポーツ化していくフリークライミング界において、ルート開拓こそが唯一残さ
れた、ロマンチックで創造的でちょびっと冒険的な行為といえるのであります。

 ヨーロッパのように、きれいな石灰岩壁がどこにでもあるような場合は、このルート開
拓もスマートで楽なものとなります。要はラインをきめてボルトを打って、あとは登るだけ
です。ヨーロッパに行ったクライマーはよく言います。「あっちにいけばあんなに岩がある
のに、日本なんかでルート拓く気になんないよな」

 これは根本的に私たちが行っているゲームを理解していないクライマーの発言でしょう
。どこの川に行っても誰でも魚が釣れるのではフィッシングにのめり込む人もいないでしょ
うし、地面を掘ればアンモナイトがゴロゴロ出てくるようでは化石探しもつまらないように
、どこにいってもいい岩があるのでは、このルート開拓というゲームは成り立たないのです
。めったにないからこそ探す喜びもあるし、苦労して出来上がったルートだからこそ、登っ
たときの感動もひとしおなのです。

 最初にルートを拓いた時のことはさすがに鮮明に覚えています、1984年、穂高での
クラブ(JMCC)の夏合宿のことでした。屏風岩や滝谷のクラシックルートを先輩と登る
毎日、まあそれはそれで楽しかったのですが、どうもルート自体簡単だし、いまひとつ胸お
どるといったレベルではありませんでした。

 そして合宿最終日、私とやはり新人のBでフリークライミングのルートが拓かれつつあ
る屏風岩の下部スラブに行くことにしました。アウトサイダーなど手ごたえ十分のルートを
登ったあと、二人で取付で寝そべりボーッとしていました。Bは合宿疲れがたまっていたの
か“寝”に入ったようです。私は青い空と広大な下部スラブが、視界の中でだんだん溶け合
っていくのを楽しんでいました。

 そのほのぼのとした景色の中にいままさに私自身も溶け込みそうになった時、視界の片
すみに2本のボルトを発見しました。「はて、こんなところにルートはないはずだけど…?
しかも2本だけとは?」
 しだいに覚醒してきた頭は「1本目が結構高い位置にある、それにしては2本目が近い
。ということは冬期の試登跡であろう」と判断しました。そして「よし、このルートを完成
させよう!」と。

 Bをたたき起し私は登り始めました。自分でラインを選び、ボルトを打ちナッツを駆使
して広大なスラブを登っていく。なんという開放感。なんという充実感。私は夕日に染まる
穂高の山々に向かって叫びました。
「これこそが本当のクライミングだ!」
「オレはこれがやりたかったんだ!」
「オレは完璧に自由だ!」
(むろん心の中で叫んだのだが)
 私はこの2ピッチのルートを“不意の旅立ち”と名づけました。まさにこの時から私は
ルート開拓という終わりのない旅に出たのです。

 このように、一度ルート開拓にとり憑かれると、私のようにクライミングはそっちのけ
でつっ走ってしまうしまう人が多いようです。実際この10数年に北は北海道から、南は沖縄
まで、岩を求めて歩き回りました。当たりもあればハズレもある旅々でしたが。

 そのうち、不思議なことに気づいてきました。それらの旅々で印象に残っているのはク
ライミングもさることながら、オホーツク海を背にすすった蟹ラーメンだったり、平家の亡
霊に脅えながら段の浦で飲んだ梅錦だったり、ぬるさにふるえながら気合いで入った西伊豆
の露天風呂だったりすることに。

 こうなると、岩探しだけでもそうとうクライミングから遠ざかっているのに、温泉探し
、地酒探し、名物探し、が加わるに至っては、本末転倒、粉末銭湯。言語同断、コンゴ横断
。いったいなにをやっているやら……。
   まっ、楽しければいっか。


  

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