SKIING
アスペンからジャクソンへ

滑り派の本山の門をたたく

ジャクソン

 
2000-3/5-3/15
member:真壁夫妻、松倉、北だ、みぞーべ、ひろゆき、汽車

 3月4日
予定通り2時半にはデンバー空港についた。松倉さんと荷物を取り、ハツレンタ
カーの受け付けにいると、予定通り真壁夫妻がシアトル経由で到着。フルサイズ
とはいうがトウラスを貸してくれるとのこと、やはり4人には小さすぎるのえフ
ォードエクスプローラーに代える。倍近い値段で痛い。ナビもと言うとい1日6
ドルとか。えい、まとめて面倒みてもらおうと保険にもおすべて入って、最終日
の精算がこわい。
13度とたいへん暖かい。飛行機からみたシエラもロッキーも雪が多いようには
みえなかった。
ナビにハーベストと打ち込むとボルダーのホテルに連れていってくれる。
宿にチェックインして、裏のemsへショッピング。となりのセフウエイで惣菜
買って夕食とする。
インターネットは持参のパソコンですぐにつながってこれでいろいろできそう
だ、ということでテレビを見ながら就寝。
買い物は、私の場合、ジャイロの黒ヘル、サングラス2、g3のゾンデ棒、ソレ
ルの黒布製長靴はバーゲン59ドルの買い物だった。
セイフウエイでビールを買ったらidをと久しぶりに問われた。おいおい、俺は
51だぜ。

3月5日
ボルダーのリーガルハベストをでて、パールストリートで朝飯して長いドアイブ
でアスペンにはいりまいた。
宿はアスペンマウンテンの真下のtipple inn conds 970 925 3323 4号室。
スキー場は春のようで雪不足。パウダーはみえない。暖炉で薪を燃やすのが面白い。

3月6日
朝から快晴。歩いて1分のところにアスペンマウンテンのゴンドラがあるのだ
が、ゲレンデは急でコブだらけ。車でスノーマスへ。共通2日券を買ってこの日
は1日ゲレンデスキーヤーとなる。第一リフトは苗場のような混雑。アメリカ中
の金持ちがきているらしい。そういえばアスペンの飛行場は飛行機の山だった。
トップまで登る。雪は少ないが土のえているところはほとんどない。どこえもす
べれるが深い雪はどこにもない。3時ころには引き上げた。
データ的なこと。
アスペンマウンテンはまだ一度も滑ったことがない。上述のとおりだが、大雪が
降ったあとはパウダーが楽しめるという。急すぎてグルーミングしないようだか
らそれは本当だろう。
2日券は118ドルとかなり高い。チップルインはいつぞや泊まったグランドホ
テルの横にあることに気が付いた。今夜もぼくは自炊のつもり。寄せ鍋でも作ろ
う。

3月7日
昨夜は、やっぱり自炊だね、ということで、各自が腕をふるいました。チャーハ
ン、ステーキ、海の幸なべと、いろいろ。各自が自分用をつくるので世話はな
い。みんな外食はめんどうくさいみたいだ。
朝からくもり。雪が降って町はうっすらと白くなっている。アスペンハイランド
にいく。山は雪だったらしく15センチほどつもっていて、気持ちよく滑れる。
午後になって大雪になってきたので早々に引き上げる。
テレマーカー松倉の進歩がめざましい。静子さんは相変わらずの安定した滑り。
これえ最近の板、プラスティクブーツを仕入れたらすごいのではないだろうか。
彼女だけがいまだに古い道具で滑っているのが偉い。
雪の中、ショッピングにでかける。ウテスポーツ、ハブスポーツ、いいものが置
いてある。
シティマーケットに歩いていくと、なんとなく見た顔とあう。ネッド ライアイ
ソンだった。
きのうスノーマスでも確かみかけた。かれもぼくらを見ていた覚えがある。日本
の古いテレマーカーの名前が続々とでてくる。名刺をもらい。記念写真をとって
わかれる。彼はアスペンの古いインストラクターで、
テレ ネッドと呼ばれている伝説的なテレマーカーだ。日本にも長くいたはず。
今夜も、僕は日本食。白鶴4合ビンが6ドルでうまい。森永のパック豆腐で冷や
っこがうまい。この国は過ごしやすい。

3月8日
アスペンを9時前にはでた。下るほどに雪が消えて心配したほどのこともない。
グレンウッドスプリングスでリオグランデ鉄道の駅や大温泉プールを見学し、ヴ
ェイルでスキー博物館などをみて、シルバーソーネに昼過ぎに着。プライマリー
アウトレットで買い物をして、パインロッジコンドには5時。アウトレットの買
い物がきょうの最大の仕事だった。
宿は、2ldkの立派なものでバスが2つ、人工暖炉など至れり尽くせり。2日
で600ドルちょと。アスペンよりはやすい。スキー場まで1分。今日までの天
気で山にはパウダーが降り積もったことだろう。
silverthoneのcitymarcketではセルフサービスのレジが
あって驚きました。


3月9日
今日こそパウダーだ、と8時前にbreckenidgeのリフト乗り場へ。3700メー
トルの最高地点まで登るが、昨夜はたいして降雪はなかったよう。昨日の日中に
ずたずたにされた荒れた斜面とコブ斜面があるばかり。そのほかはリゾートスキ
ーヤーのためにきれいにグルーミングされている。
それでもソフトな雪を求めてあちこちを放浪する。あまりに巨大なスキー場に驚
いた。迷いながらも3時半に帰荘。やはり絶対的に雪が少ない感じだ。

10th march
昨夜からの降雪が絶好のコンディションとなったブリッケンリッジをさっさと去
る。ナビにデンバーの
reiとうちこんで直行。つぎに飛行場といれてレンタカーを返す。842、2
7ドル。10万円くらい、高いか安いか。
1時間半くらいでジャクソン着。あまり雪が多いようには見えない。スノーキン
グリザオートにはいる。りっぱなコンド。華城飯店で安飯を食べ空港へ。9時に
東京からの後発組み、北田、みぞべ、ひろゆきが到着。

3月11日
後発グループは初日なのに元気。朝飯を適当にとってジャクソンホールのスキー
場へ。一日券が54ドル。
トラムにのってあちこちを偵察。スキー場内には満足できるパウダーらしきもん
はなし。朝いちで蹂躙されてリゾートスキヤーが群がっている。
こういう日はいわゆるパウダーフリークは100人乗りのトラムでランデブー山
(3185メートル)へのぼり場外に出て行くようだ。幅広の板にスコップ付き
のザックが彼らの目印だ。ニセコの先端はここの連中とにている、というよりも
ここがその本場なのだ。。
食後、ランデブー山に登り、ロックスプリングボウルに入り荒れてはいたが念願
のパウダースキイイングを味わった。
バウンダリーがはっきりしていて、出口がありしかるべき看板があって、さらに
下山路がしっかり整備されていて、そのうえお迎えのtバーまであっていうこと
なし。
みぞべさんは革靴でちょときつそうだ。
jhのインストラクターやスタッフはマーモットを来ているのだが、それが赤と
黒のジャケットでかっこいい。僕の来ているジャケットが偶然だがまったく同じ
物なのでおどろいた。
スパゲッティをつくる。トマトソースが大量にできてしまった。

3月12日
朝いちででかける。とはいえ早起きはたくさんいて、日曜日とあってトリムは混
雑。ゴンドラであがってて足慣らし。そのごトップにあがり本格的パウダーに出
会う。
北田氏とはぐれしばらく捜索。静子さんと同じタイプらしい。
午後は雪が腐りひどいコンディション。そこそこできょうはおしまい。やはりジ
ャクソンも春になっているようだ。
夕方、芥川氏きたる。高名なクライマー、いま過激ボーダー、最新情報を聞いて
今後のにそなえる。
おっと、珍しい人に出会う。古い顔の末広明カメ、白馬の黒川正博氏そのほか。
仕事らしい。なつかしい。

3月13日
生卵ごはんで力をつける。
かねてよりここぞと話のあったグランドターギーへ。おとついの雪はきれいに踏
み固められパウダーはないよう。それでもアイダホの華麗なスキー場はなかなか
秀逸。 ビデオ撮影などして楽しく滑りました。帰る頃になってシークレットポ
イントを発見。素晴らしいパウダーゾーン。そのころには足が萎えてたいした滑
りはできませんでした。帰り際に麓の町、デュリッグスで幻のブランド、ヨステ
マークを発見。これがあれかと大騒ぎ、ティトンパス越えて、さらに噂のウイル
ソンスポーツを視察し、となりでベーグルを食べて、今日は疲れました。

3月14日
朝から大雪。ティトンパスの予定をかえて三度ジャクソンホールへ。芥川氏がボ
ードで付き合ってくれる。ランデブー山ピークは吹雪。芥氏がいいところを案内
してくれる。ラストランはオフピステのスプリングロックの素晴らしい斜面ホー
バックを滑った。ラストまで生き残ったのは北田、まかべ、ひろゆきのカリブー
の精鋭だった。
カリブーメンバーを残しまっちゃんと明朝ここを去る。今回のジャクソン合宿で
まっちゃんも僕もいくらか上達したようだ。ジャクソンにはパウダーフリークが
多く、技術レベルも高い。テレマーカーも非常に多い。技術だけでなく、用具、
ウエア、装備など、ここがパウダー系の潮流を作っているのは確かなようだ。
スキーはK2、ロシ、アトミックなどの幅広が主流。テレブーツはスカルパと同じ
くらいクリスピーが目立った。マーモットのウエアが目立つ。ロカルブランドも強く
ライフリンクのストックとシャベルパックはここの定番というかんじだ。ヘルメット
をかぶったスキーヤー、ボーダーが多く、これも最近のエクス系の影響とみた。
全米で一番手強いスキー場といわれるジャクソンは滑り系の本山ということもで
きる。トリムを3500メートルまでのばし、あとは好きなところを滑ってくれという
感じがある。バックカントリー系は細い板でもっとローカルな山のなかにいるのだ
ろう。BDのスキーが意外と少なかったのはそのせいか。
アメリカでもエキストリームやパウダースキーは今いちばん先端の流行りのようだ。
ジャクソンがニセコのルーツというのはそのあたりの部分のことで、これからますます
日本でもこの傾向は広がるのではないだろうか。
それにしても5日間滞在したのだがティトン山脈はついに姿を現さなかった、と
いうのも特記しておいてよいかもしれない。

3月15日
牡丹米が3分の1ほど残った。コロラドで買った赤みそも半分以上使ったがまだまだ。
カレーライスを作るつもりで入手したカレーパウダーは使わずじまいだったのが残念。
それらを後発組に残す。無駄な買い物はなかったようだ。
朝7時のフライトで出発。吹雪のなか予定通り離陸するか心配だったが、順調に
デンバー、シアトルと乗り継ぎ帰国。新型777機は比較的快適。太平洋を越え
られるとは知らなかった。マウントレニアが大きく素晴らしかった。
シアトルのまちは桜が咲いているようにみえた。
 
糸尾汽車

BACK TO ARC2000年の記録
 

BACK TO ARC